互いの関係性にもよると思うんだけど・・・
「おまえちっせえな〜」って誰かに言われたときにほんとにちっさい人って本気でカチンときて怒っちゃったりするんだよね。
ちっさいよねw
世界の大きさとか自然の偉大さとか人類の小ささとか知ってる人って「おまえちっせえな〜」って言われても「はいはいどうせ俺はちっさい男ですよ」って言えたりするよね
だけど、ほんとに自分はちっさいと思ってるわけじゃなくて「どうせちっさいですよ」と言ったところで「己の価値が小さくなるわけではない」というような自信があるんだよね
なんか、自信のない人っていちいち力んでて大変そうだよね。
ひとの意見にいちいち否定的だったり
たとえば、「今日は暑かったね〜」っていう普通の会話に「そうかなぁ。昨日のほうが暑かったよ」とか「これくらいで何を暑がってるの?」とか
他人の意見を否定することで承認欲求を満たそうとしちゃうのかなぁ。。。
べつにいちいち勝たなくていいと思うけどね
で!
今日はなんだか、普段感じてることを文章にしておこうと思って書いてみた。
小さな町の小さな人間関係の中で人生経験を積もうと、大都会の複雑な人間関係の中で人生経験を積もうと、己の大きさはそこだけじゃ変わらないと思うけど、どこでどんな人生経験を積もうと人と関わる中で日常的に感謝の気持がある人って、他人となるべく上手に関わろうって自然に努力できるけど、とにかく承認欲求を満たしたくて必死な人って勝ちたくて勝ちたくてしょうがないんだろね。
欲求不満丸出しって感じ?!
そーゆー人と関わるのって疲れるよね
だからあんまりそばに居たくないよね
きっとその人の周りってそー思ってる人が多いよね
だからあんまりそばに人がいないんだね
いい人とか悪い人とかそーゆーことじゃなくてさ
ひとって
「認めて認めて私を認めて」ってひとのそばにいるよりも
「自分を認めてくれる人」のそばに居たいって思うんじゃないかな?
ひとと関わる時、できるだけ相手を敬いながら関わりたいよね
自分の気持ちばっかり押し付けずに、なにか行き違いがあったならちゃんと「事実確認」ができたらいいのにね
人間関係って、たまたま感情的になってしまったり、情報が不十分な勘違いだったりって多いんだよね
「いっときの感情で断絶」ってやりかたが癖になってる人は、早めに治したほうがいいよ
「今日は暑かったね〜」
「ほんと暑かったね〜」(^^)